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第1章 牛乳・乳製品の歴史 ~人と牛の長く深い関係~ 前編

1.牛乳の歴史

もともと母乳とは、哺乳動物が自分の子供を育てるために、唯一、自ら生産する食料です。

人間が他の動物の乳を利用し始めたのは、今から、およそ1万年前になります。私たちの祖先は、羊や山羊を食肉用として家畜化して、やがて乳を利用し始めたといわれています。

牛の家畜化は、およそ8500年前の中東あたりが始まりです。肉や牛乳、皮などを利用していました。それから2千年後には、労働力として牛にスキを引かせる農耕方法が誕生し、生産力の向上に役立てています。

ところで、ローマ字のアルファベットの大文字のAを逆さにすると、牛の顔に似たような形になりますが、これは牛の頭部の象形文字から来たといわれています。また、ギリシャ文字のα(アルファ)は、牛を意味するセム語のアレフに由来するといわれています。大昔から人間と牛との間には、切り離せない関係があったことがわかります。

気温の高い中近東やインドなどの地域では、乳は腐りやすく保存できる期間が短いため、神への捧げものとして、それから、王族や貴族の貴重な飲料としてのみ利用されたようです。

一方、日本や中国は、土地の条件から、田畑を耕す労働力として2、3頭を飼うだけで、乳の利用は限られていました。日本の牛乳の歴史をみると、645年「大化の改新」のころには、古代朝鮮の3国のひとつ百済(くだら)から帰化した人が、孝徳天皇に牛乳を献上したという記録が残っています。そして、701年に制定された「大宝律令」には、皇族用の搾乳場が定められており、酪農家が都の近くに集められています。最初は、皇族が牛乳を飲み始め、そこから貴族の間に広まっていったようです。「天皇、皇后、皇太子で1日約2.3リットルを飲み、余りは煮詰めて濃縮乳の酥(そ)をつくり保存していた」という記述があります。

また984年に成立した日本で一番古い医術書「医心方(いしんぽう)」には、「牛乳は全身の衰弱を補い、通じをよくし、皮膚をなめらかに美しくする」と記されています。

江戸時代になると、海外の宣教師が、貧しい幼児を集めて牛乳を飲ませる乳児院を長崎に建てていましたが、キリシタンの弾圧で廃止されました。

8代将軍吉宗は、オランダ人から、「牛乳は馬の医療に必要である」ことを聞き、インドから白い牛3頭を輸入しています。そして、千葉県で飼育しました。これが近代酪農の始まりといわれています。

江戸時代が終わり、開国して外国人が住むようになると、牛乳の必要性が一層高くなりました。

1871年には、「天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む」と記事に出ると、庶民の間でもちょっとした牛乳ブームが起こったということです。

それから130年以上経った現在では、酪農家がしぼった乳が、毎日、牛乳工場に運ばれています。10種類以上の検査、強力な遠心分離装置やろ過機などで目に見えないゴミなどの異物が分離・除去され、さらに、生クリームにならないように均質機のホモジナイザーで乳脂肪を細かい粒子にして、加熱殺菌し、充てん包装され、小中学校や牛乳販売店、スーパー・コンビニエンスストアなどに販売・配送され、私たちのもとに届いています。

牛乳の生産量は、1年間でおよそ400万キロリットルです。1人当たりの消費量は、1年間で30リットル、200ccの牛乳ビンが150本分となっています。

製品の種類も豊富になり、牛乳、成分調整牛乳、低脂肪牛乳、無脂肪牛乳があります。毎日の食生活に欠かせない食品となりました。なお、全国の生乳生産量の約半分近くは、北海道で生産されています。

牛乳は、200ml当たりたんぱく質を6.8g含みます。牛乳は良質なたんぱく質食品ですが、そのたんぱく質の中にも、健康に役立つ機能性成分が含まれていることが近年わかってきました。カルシウムの吸収を助けるカゼイン・ホスホ・ペプチド、神経の興奮を静め、眠りへと誘うオピオイド・ペプチド、鉄の吸収を調節して貧血の予防改善、また細菌の増殖を抑えて病気の感染を防ぎ、免疫力を高めるラクトフェリンなどが含まれていることが明らかになっています。

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